なぜ負け続けてきたのか。
若かったから。
精神崩壊をしていなかったから。
考えるからこそ、欲が出る。希望を持つ。恐怖する。
そうなのではないだろうか。
今日の空は曇っている。
10月は一番好きな季節なのだが、金も職もない。
こんな絶望が果たして存在するのだろうか。
もはや復讐もクソもない。
ただ思考することなく、無として行動すればいい。
復讐劇であることを自覚すると、そこに心が宿ってしまう。復讐など、もはやどうでもいい。金がなければ死ぬし、金を得るためにはトレードで待ち伏せしなければならない。要するに、チーターのように待ち伏せしなければならない。待つことが仕事、まさにそうだ。エントリーする前は当然のこと、エントリーした後の利確サインまで待つ。それができないから負けてきた。そして、心があるからこそ負ける。
9割がマインドとは言うものの、心そのものを消してしまえば、それで済むのではないだろうか。
もはや思考することこそが面倒くさい。ならば、もう考えなければいいのではないだろうか。
どうせ他人はわかってくれないのだから、金のパワーで潰せばいいだけの話ではないだろうか。
もはや「覚悟」の問題ではない気がしてきた。覚悟ではなく、「無」として動くことこそ勝利へとつながるのではないだろうか。
・健康的な食事を摂る
・安全な車に乗る
・安くて良い酒を飲む
人が生まれてから成長し、やがて40歳を過ぎて老化してくる以上、パーフェクトゲームなどと言うものは存在しない。ただただ「無」として生き、やがて「無」として死ぬだけである。
「無」こそが最強なのではないだろうか。
今仮に50万円ポンと口座に振り込まれれば、とりあえず凌ぐことはできるだろう。それだけのことである。
最寄りのTSUTAYAにまさか3年前に出たばかりのゴブリンスレイヤーⅡのDVDが置いてなかった。これも時代と言うことだろう。もうサブスクで見るしかないということである。
逆に考えれば、今のこの地獄のような金欠を乗り切れれば、毎月支払いをしつつ、少しずつお金が貯まっていく状況にたどり着いただけでも、とてつもない幸せを感じられるのではないだろうか。
今は「無」でやっていくべきなのだろう。考えても意味がないし、悪い方向に行くだけだ。淡々と無を実行するだけでいい。
人間、落ちるときは落ちるということだ。まさかここまで急落するとは思わなかった。思えば4月末からずっとクソのような状況が続いていた。もうダメだったのだろう。あのまま続けていても意味がない。
筋トレはしたので、後は歯磨きして風呂入って寝るだけだ。とは言え、まだ16時前だ。さて、どうするか。
5年前は今頃失業保険をもらってウハウハだった。だが、結局「無」がなかったから、バイアスに負けた。
44歳から48歳までの4年間をどうするか。まず、俗にいう「おっさん」としての渋みを増すことである。嗜み、美学というところだろう。ただ老化するだけでは面白味がない。
「無」の力を使うとすれば、もう未来の不安や来月の支払いができるかどうか、それを考えることがバカバカしいと思ったので、何も考えない「無」になったということだろう。
考えることに意味を見出せない。
金と健康を重視するなら、食べ物など健康的な食事を毎日取ればいいだけであり、色々な物を食べる必要などない。特に体に悪い砂糖や油を摂取するなど愚の骨頂でしかない。
歯磨き終了。眠くなってきた。寝るか。まだ20時だけど。
